日本の紅茶の歴史を解説!紅茶のルーツには日本の存在も!?

日本紅茶の歴史のアイキャッチ 紅茶の雑学
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世界中で愛されている紅茶。日本でもスーパーやコンビニでも手軽に買えるほど身近な存在になっていて、好んでいる方も多いですね。

そんな日本に、紅茶が来たのはいつからかご存じでしょうか?それは、歴史的にも有名なある出来事がきっかけになったんです。

ですが今のように日本に普及するのは、そこからさらに日本産紅茶ティーバッグの登場など、100年ほど経ってからでした。

そして、実は紅茶の歴史を振り返るとなんと!日本のお茶は紅茶の誕生にも関わっていたんです

そんな気になる部分も多い日本の紅茶の歴史。この記事では日本に紅茶が来たのはいつなのか、そして日本のお茶がどのように紅茶の歴史に関わっているのかを解説します。

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紅茶が日本に初めて来たのはいつ?

紅茶は世界で最も多く飲まれているお茶で、日本でも紅茶好きな方は多くいますね。

さち
さち

かくいう私も紅茶好きジャパニーズの一人です!

紅茶の誕生は17世紀末にまで遡りますが、日本に来たのは誕生からおよそ150年後の江戸末期。いわゆる幕末の時代でした。

紅茶が初めて日本に来たのは江戸末期

日本に初めて紅茶が来たのは1853年黒船来航の次の年です。

江戸時代の200年弱の期間、鎖国をして海外との交流を断っていましたが、黒船来航をきっかけに開国し再び交易を行うようになりました。

そして開国の時に、アメリカの総領事「タウンゼント・ハリス」が伊豆の下田に着任した時に幕府に献上した紅茶、これが日本に来た初めての紅茶です。

さち
さち

とは言っても、この時点では日本に紅茶は広まりませんでした。日本に広まるのはもうちょっと先ですね

初めて紅茶を飲んだ日本人は船頭?

幕末の時代に初めて紅茶が来た日本ですが、実はその70年程前に初めて紅茶を飲んだ日本人がいました。その日本人は大黒屋光太夫だいこくやこうだゆうという回船の船頭です。回船とは運輸船のことですね。

さち
さち

光太夫は現在の三重県鈴鹿市の港を拠点に、港から港へお客や貨物を運搬する仕事をしていたんです。

1782年に光太夫は船で江戸に向かっていた時に、遠州灘のあたりで暴風雨に遭い遭難してしまいます。

7ヵ月間漂流しアラスカのアムチトカ島に流れ着き、そこで出会ったロシア人と共に4年間を島で過ごしました。この期間で光太夫はロシア語を習得したそうです。

そして光太夫は脱出用の船を造り、島を脱出した後にロシアにたどり着きました。ロシアで客人として手厚くもてなされた光太夫は、ロシアの皇帝「エカチェリーナ二世」に謁見し帰国の許可をもらいます。

さち
さち

光太夫が手厚い歓迎を受けたのは、当時ロシアは日本と交易がしたいと考えていたので、光太夫をきっかけにできないかと考えていたことも理由にあったようです

この謁見後から帰国までの間、光太夫はたびたびエカチェリーナ二世の茶会や晩さん会などに招待されていて、この時紅茶を飲んだとされています

また、帰国の際にロシアから贈られた餞別の品の中に紅茶があったとされているので、光太夫が紅茶を飲んだのはほぼ間違いないでしょう。

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日本産紅茶は輸出のために生産された

富士山と茶畑のイラスト

アメリカとの交易が再開されてから、明治時代に突入した日本では緑茶を輸出していました。ですが、緑茶の人気は下がっていき、逆にアメリカでは紅茶の人気が上がっていたのです

そこで日本は国産紅茶を作ろうと、紅茶産業に乗り出しました。これが日本産紅茶の始まりです。

さち
さち

最初は国内用ではなく輸出用に作られていたんですね

紅茶産業に乗り出した日本でしたが、当時中国の茶師指導の下栽培した紅茶は質が悪く、国産紅茶栽培は上手くいきませんでした。それを受けて明治政府は国産の紅茶を作るには、実際に産地に赴いて調査する必要があると考えます。

そこで調査を任されたのが、静岡で茶の栽培や研究を行っていた多田元吉ただもときちという元幕臣の茶の栽培家です。

元吉は1875年にまず中国に行きました。そこで紅茶栽培の調査をし生産のための機械や種を持ち帰り、翌年に帰国します。そして次に元吉はインドへと調査に向かいました

さち
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インド紅茶の調査は、まだ未踏の部分が多かったヒマラヤ山脈越えや伝染病との闘いなどかなり過酷な旅だったようです

インドの過酷な旅を経て元吉は、紅茶の機器の図面や栽培法、種などを日本に持ち帰ることに成功します。そして1880年に紅茶の栽培を始めました。この時の栽培法は以前の中国式ではなく、インド式の栽培法で始めたようです。

最初は日本の土地での栽培もむずかしく、以前のものよりいい紅茶は作れましたが、アメリカやイギリスなどの国に送った試作品もイマイチな評価をもらっていました。

ですが少しづつ努力が実っていき、最終的にはイギリス公使館からも「素晴らしい」と評価されるほどの紅茶が作れるようになったのです。

そんなイギリスからも高い評価をもらえるようになった日本産紅茶ですが、その後1971年に紅茶の輸入が自由化されたことで日本での紅茶生産のほとんどが停止してしまいました。

今では静岡の下田や九州各県などに、和紅茶ブランドが残っているのみです。

さち
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ちなみに下田で生産されている紅茶は、開国の時代に初めて紅茶が来た地にちなんで「開国下田紅茶」と名付けられました、下田の販売店で買えるほか店内で提供しているカフェもありますよ。

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紅茶の日本普及のきっかけは日本文学?

日本文学とルーペの画像

国産紅茶の生産が始まった日本ですが、紅茶がすぐには浸透しませんでした

1886年に銀座で初めて販売され、そのあとにもコーヒーハウスやカフェなどがいくつも開店しコーヒーと共に紅茶も提供されていましたが、この時代の日本で紅茶はまだまだ高級品だったのでなかなか手が出せなかったんです。

さち
さち

外交や国賓の接待などの場で飲まれる程度で、一般の普及は進まなかったようです。また日本人が永く緑茶に親しんでいたことも理由にあったのかもしれませんね

そんな日本で、紅茶が普及するきっかけになったのは日本の文学でした。

日本文学の作家、夏目漱石宮沢賢治などの作品の中に紅茶が登場したことで、日本でも広まるきっかけになったんです。高級品であることに変わりませんでしたが、文学への登場で認知度は一気に上がりました。

さち
さち

当時の人たちには文学の中に登場する紅茶が優雅でハイカラ

な飲み物として魅力的に見えていたんですよ

三井紅茶やティーバッグの登場で紅茶が身近なものに

紅茶缶のイラスト

高級品で一般家庭にはなかなか手が届かなかった紅茶ですが、1927年に三井紅茶(現・日東紅茶)から発売された缶入りの紅茶の登場で、少しづつ身近なものになっていきました。

さち
さち

三井紅茶は日本初の国産ブランド紅茶で一般家庭でも気軽に楽しめる紅茶として誕生しました。

その後、三井紅茶は日東紅茶に名を改め1961年に日本初のティーバッグも発売したことで、ますます紅茶が手軽に飲めるものになっていきました。

ティーバッグでまたまた変化した日本の紅茶文化

三井紅茶の登場で徐々に身近になりつつあった紅茶。さらに手軽に味わえるようになったのはティーバックが登場したことが大きな要因になっています。

さち
さち

当初日本では紅茶ではなく麦茶のティーバックが普及していました。当時は紅茶より麦茶のほうが需要があったのでしょうね

日東紅茶のティーバッグ登場でどんどん身近になっていった紅茶ですが、さらに神戸市にある老舗紅茶会社「神戸紅茶株式会社」がティーバックの製造機器「コンスタンタマシン」を日本で初めて導入したことで、量産化と低価格を可能にしたんです。

マシンの導入で一般家庭にも紅茶が広まっていき、10年後には紅茶はだれでも手軽に楽しめる飲み物になりました。

さち
さち

当時神戸紅茶で導入されたコンスタンタマシンはつい数年前までの長い間稼働していたんですよ~

ヨーロッパ初のお茶文化は日本から

茶道のイラスト

そもそも紅茶が生まれたのは17世紀末。中国からイギリスに輸入された武夷ぶい茶が後に紅茶になりましたが、お茶の文化はその100年程前からヨーロッパにあったんです。

さち
さち

初めてヨーロッパに入ってきたお茶は緑茶だったんですよ

最初にお茶をヨーロッパに持ち込んだのは、意外にもイギリスではなくオランダです。

オランダは1602年にインドに貿易会社「オランダ東インド会社」を設立し、インドやアジアとの貿易を行っていました。

そして1609年に日本の長崎・平戸に商館を開いて、翌年に日本のお茶や茶器を持ち帰ったんです。それがきっかけになって、オランダの貴族の間で東洋文化のブームが起きました。

さち
さち

当時のオランダ貴族は日本の抹茶の飲み方をまねして、お皿にお茶を移して音を立てて飲んでいたんですよ(諸説あり)

オランダに来た東洋文化やお茶は後にイギリスにも伝わり、そこでさらに発展して紅茶が誕生しました。

つまり、日本のお茶もオランダに渡ったことで紅茶の発展や誕生につながったんです

紅茶の歴史についてはこちら↓

まとめ

  • 紅茶が日本に来たのは江戸末期、アメリカ領事タウンゼント・ハリスによって日本に来た
  • 初めて紅茶を飲んだ日本人は大黒屋光太夫という船頭だった
  • 明治に入ってから輸入用に日本産紅茶の生産を始めたが、現在は一部地域で残っているのみ
  • 日本に紅茶が普及し始めたきっかけは日本文学
  • 三井紅茶の登場とティーバッグの登場で徐々に一般家庭で浸透していった
  • 日本のお茶文化がヨーロッパに渡ったことが紅茶誕生にもつながった

日本の西洋文化は江戸末期に開国したことで入ってきたものも多いですが、紅茶も同様に開国の時に入ってきていたんですね。

そこから日本で紅茶を生産したり、三井紅茶の登場したり徐々に紅茶文化が日本に根付いていきました。

また、日本のお茶の文化がヨーロッパに渡りそこで発展して紅茶が誕生して、また日本に戻ってきていたのもなんだか不思議に感じます。

日本の紅茶の歴史は、日本のものづくり精神や日本の文化の浸透性も出ていて、なかなかに面白い歴史がありますよ。

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